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通称イギリス

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、 通称イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから構成される立憲君主制国家であり、 英連邦王国の一国です。ヨーロッパ北西部の島国ですが、北アイルランドでアイルランドと国境を接しています。 国家体制は国王を国家元首とし、議院内閣制に基づく立憲君主制。国際連合安全保障理事会常任理事国の一つです。公用語は英語。

イギリスの歴史

1066年にウィリアム征服王 がイングランドを制圧し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えました。 人口、経済力に勝るイングランドがウェールズ、スコットランドを圧倒していきました。 1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれ、1536年には正式に併合。 1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成、1707年、スコットランド合併法により、 イングランドとスコットランドは合併しグレートブリテン王国となりました。 1801年には、アイルランド合併法によりグレートブリテン王国はアイルランド王国と連合し、 グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国となりました。ウィンザー朝のジョージ5世の1922年に北部6州を除く26州が、 アイルランド自由国として独立、1927年に現在の名称へと改名しました。

 

1897年の帝国植民地・自治領。このほかにもブラジルなどに非公式帝国があり、1920年には史上最大の帝国となりました。 イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成し、19世紀始めのナポレオン戦争後は七つの海の覇権を握って世界中を侵略し、 カナダからオーストラリア、インドや香港に広がる広大な植民地を経営し、奴隷貿易が代表するような搾取を繰り広げ イギリス帝国を建設しました。しかし、二度の大戦を経てその後はアメリカが強大国として台頭します。 第二次世界大戦直後、労働党のクレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンにいち早く福祉国家を作り上げましたが、 階級社会の伝統が根強いこともあって経済の停滞を招き、1960年代以降は「イギリス病」とまで呼ばれる不景気に苦しみました。 地方経済は不振を極めましたが、ロンドンを中心に金融産業などが成長しました。1990年代、政権は保守党から労働党の トニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正した第三の道への路線に進むことになりました。 このころからイギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべくクール・ブリタニアと言われるイメージ戦略、 文化政策に力が入れられるようになりました。

立憲君主制

政体は立憲君主制をとっています。一つに成典化された憲法典はなく、制定法や判例法、歴史的文書及び慣習法が イギリスの憲法を構成しています。憲法を構成する法律が他の法律と同様に議会で修正可能なため軟性憲法と呼ばれます。 国家元首はイギリス国王ですが、憲法を構成する慣習法の一つに「国王は君臨すれども統治せず」とあり、 その存在は極めて儀礼的です。このように歴史的にも人の支配を排した法の支配が発達しており、伝統の中に築かれた民主主義が 見て取れます。また、立法権優位の議会主義が発達しています。議院内閣制や政党制など、現在多くの国家が採用している 民主的諸制度が発祥した国として有名です。立法権は議会に、行政権は首相及び内閣に、司法権はイギリス最高裁判所及び 下級裁判所によって行使されます。イギリスの議会は、上院と下院の二院制です。1911年に制定された議会法により、 「下院の優越」が定められています。議院内閣制に基づき、行政の長である首相は憲法的習律に従って下院第一党党首を国王が任命、 閣僚は議会上下両院の議員から選出されます。下院は単純小選挙区制による直接選挙で選ばれますが、上院は非公選であり任命制です。 1996年に北アイルランドに、1999年にはスコットランドとウェールズに議会が設置され、自治が始まりました。